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2024 年11月18日(月)午後1時30分から、HPVワクチン薬害東京訴訟の口頭弁論期日が開かれ、全国で2人目の被告側専門家証人の主尋問が行われました。
裁判に先立ち、東京地方裁判所前では、支援者らによるリレートークが行われました。
原告を代表して平原さんのお母様が参加者や通行人に向けて、これまでの訴訟の進行を受けての想いや支援への呼びかけを、力強い口調で語りかけていました。また、名古屋訴訟の原告のお父様も、応援に駆けつけてくださいました。
また、支援者を代表して、支援ネットワークの江川さん、浅川さんがマイクを持ち、支援活動の経過報告と、今日の期日に向けた思いを語ってくださいました。
加えて、弁護団から、水口共同代表、山西共同代表が、今回の被告側専門家証人が証言するであろう内容を踏まえ、その内容の持つ問題点などを解説していました。
【期日前リレートークの様子】
今回、被告側専門家証人として証言したのは、近畿大学医学部微生物学教室主任教授の角田郁夫氏です。被告側専門家の証人尋問は、10月7日に行われた福岡地裁の裁判期日に引き続き、2人目となります。
角田証人は、免疫学、ウィルス学の研究者として、「HANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)」に関する研究成果として裁判所に提出されるなどした基礎研究論文や臨床研究論文を批判し、その内容及び知見には問題があると述べました。
とりわけ原告側専門家証人である鳥越俊彦氏の証言内容を批判し、HANSの発症機序(症状発生にいたる生物学的メカニズム)に関する原告主張を、否定する供述内容となりました。
この日は被告側(製薬会社)による主尋問のみが行われ、次回2025年2月3日(月)に行われる原告側反対尋問では、角田証人の供述に対する問題点、疑問点の指摘や、反論を行う予定です。
裁判期日終了後は、ビジョンセンター有楽町にておいて報告集会が開かれました。
弁護団鮎京弁護士から、角田証人の供述内容について、事前に提出されていた鑑定意見書を含めた解説がなされました。
原告33番さんのお父様、9番さんのお母様、35番さんのお母様がマイクを取り、今回の証人尋問を傍聴して、“机上の空論であり、被害者のことを見ていないように感じた”、“HANSの批判をするよりも、被害者の症状に向き合って治療法を研究するのが科学者の責任なのではないか”といった意見を述べておられました。
支援ネットワークの隈本さんは、2024年11月17日(日)に宮古島で開催された「HPVワクチン ほんとうのこと お話会」の様子を報告し、九州原告の梅本美有さんがお話しになった内容を、紹介していました。
【報告集会の様子】
次回、2025年2月3日(月)の東京訴訟期日には引き続き角田証人が出廷し、原告側からの反対尋問が行われます。
また、同年2月10日(月)には東京訴訟で2人目の被告側専門家証人となる中村好一氏の主尋問の予定も入りました。
この間、弁護団からは、これまでの立証の到達点として「声明 HPVワクチン薬害訴訟の原告本人尋問(前半)を終えて」と「原告側専門家証人6名が示した医学的知見」を公表しています。
こうした私たちの見解を是非ご覧いただいた上で、被告側専門家証人の証言を聴いてください。
2024年12月14日(土)には、名古屋市立大学において、薬害根絶フォーラムも開催されますので、あわせてご案内いたします。
引き続き、ご支援をよろしくお願いいたします。
今後の裁判スケジュールはこちら
2024年11月18日(月)にHPVワクチン薬害東京訴訟の被告側専門家証人期日が開かれます。
10月7日に行われた福岡地裁の尋問期日に引き続き、2人目の被告側専門家証人の主尋問期日です。
今回、被告側の専門家証人として証言するのは、近畿大学医学部微生物学教室主任教授の角田郁生氏です。
角田氏が原告や傍聴者を前にして何を語るのか、傍聴席で見届けてください。
尋問期日終了後(16:30頃の見込み)、報告集会も企画しておりますので、是非ご参加ください。
【スケジュール】
12:30~12:50 裁判所前リレートーク
13:00 傍聴券抽選締切り
13:30~16:00頃 尋問 ※法廷外企画も予定しています。
【尋問に立った原告27番さん(期日後の記者会見にて)】
2024年8月7日(水)、HPVワクチン薬害東京訴訟の口頭弁論期日が開かれ、原告32番さん、27番さん、52番さんの本人尋問が行われました。
前回の本人尋問期日と同様、多くの方が傍聴やリレートーク、報告集会に駆け付けてくださいました。
まず、32番さん、27番さん、52番さんが尋問で話した内容の要約をご紹介します。
===原告32番さん本人尋問
―ワクチン接種前は勉強もスポーツもエレクトーンも頑張っていました
小学生のころは、勉強も体を動かすことも好きで、水泳やサッカー、エレクトーン、英語を習っていました。中学生のころは、部活にも入っていたバトミントンの練習を頑張っていました。また、勉強も好きで中学3年生のころは、学年で1番になったこともありました。
―ワクチンを接種後、身体がおかしいなと思うようになりました
接種後、頭痛が頻繁に起きるようになりました。そのほかにも足の痛みや腰も痛むこともあり、学校を休むこともありました。また、中学3年生の冬ごろには、全身のだるさもあって、勉強に集中できなくなりました。
―足や腰の痛みは高校入学後も続きました
高校に入学してからも足や腰の痛みは続いていたし、身体のだるさもありました。夏休み以降は少しずつ学校を休むようになり、10月以降は保健室で過ごすことも増えてきました。
―高校生活に影響がでました
身体を起していること自体がだるくて、授業中に座っていることも苦痛でした。身体のだるさは、地球から引っ張られているような感じ、身体が沈んでしまった方が楽だという感じで、何かをしようという気にはなれませんでした。このことは、親や担任の先生に信じてもらえず、怠けているように思われてつらかったです。
―自分に失望し、責めるような気持ちになりました
足や腰の痛み、身体のだるさの原因がわからず、やる気を出さないといけないと思っても体がついてこなくてどうしようもなかったです。想像していた高校生活からどんどん離れた生活になっていき、自分に失望するようになりました。
―留年といわれすごくショックを受けました
学校の出席日数が足りなくて留年になると言われました。留年は嫌ですし、恥ずかしいなと思い、通信制の高校へ転校を決めました。転向後、はじめのうちは週1回の登校日には頑張って登校していましたが、高校3年生の2学期からは、身体がだるく登校も難しくなってきました。
―予定していた国立大の受験をあきらめました
物忘れがひどく、約束を忘れたりすることも多くなりました。教科書を複数回読まないと理解できないこともありました。そのような状況でしたので、高校在学時の国立大学への大学受験はできずに、1年浪人し、私立大学へ入学しました。
―大学入学後も身体のだるさや痛みは続きました
体力が続かず、授業が終わった後にはすぐに自宅に帰っていたので、サークル活動はできないですし、友達と遊びに行くこともほとんどできませんでした。
―就職活動では不良品を売り込むような気持ちになりました
就職活動のころも体調が万全ではなく、また、アピールできるような充実した学校生活ができていないこともあるし、健康な状態ではない自分を不良品のように感じ、不良品を売り込むような気持ちで面接を受けていました。
―人生にとってとても重要な時間を失ったことをわかってほしい
もしワクチンを打たなければ、こういう風になっていなかったら、私は、浪人をしてなかっただろうし、大学院にもいっていなかったと思います。兄弟がたくさんいる一番上なので、両親にはお金や負担もかけたと思います。症状が理解されないことがつらかったです。今でも、高校をやめたというと理解されないことに悔しい思いをすることがあります。高校生活、大学生活が戻ってこないです。友達と遊んだり、人間関係を築くこともだるさのせいでできなかったので、悔しい思いをたくさんしました。人生にとってとても重要な時間を失ったことがつらかったです。
===原告27番さん本人尋問
―ワクチンを接種する前は健康な子どもで、スポーツが大好きでした
小学生のときは病院には年に数回、風邪の症状で診察を受けたくらいで、学校を病気で休んだことはほとんどありませんでした。
小さい頃からスポーツが大好きで野球も習っていました。野球チームのキャプテンもしていましたし、学校でも児童会長をするなどみんなのリーダーのような役割をしていました。
―ワクチン接種の後、身体への強い痛みや頭痛、異様なまぶしさを感じるようになりました
小学6年生の頃サーバリックスを3回接種しました。1回目接種後は接種した箇所が強く痛み、赤い腫れと痒みがでました。
2回目の接種後にはそれに加えて光が異様にまぶしく感じるようになり、目の奥に突き刺さるような痛みがありました。頭の頂点に鋭い痛みを感じたり、吐き気を催すような強い頭痛もありました。
3回目の接種後は足や膝から始まり肘や腕など身体のあちこちが針で刺されるような痛みだったり、神経を握りつぶされるような痛みがあり、痛みで動けなくなることもありました。指先の痛みで箸が持てないこともありました。
―中学の時には通学や体育の授業、部活動も大変でした
中学2年の頃には耳がズキズキしたりゴーゴー音が鳴ったりしました。
中学3年の頃には臭いが分からなくなったり、授業中に目が痛くなり涙がとまらなくなったことがありました。
学校は大好きなので休みたくなく、毎日のように身体は痛かったですが、我慢して通学していました。
―高校1年の頃急激に症状が悪化しました
8月頃に突然右足と左足の膝がガクンとして力が入らず歩行が難しくなりました。その翌日には両足に力が入らなくなり、その後立ち上がることもできなくなりました。
昨日できていたことが急に出来なくなる恐怖で、夜寝るときには目を閉じたら翌日目を覚ますことはないんじゃないかと眠れない日が続きました。
―病院で診察してもらっても原因は不明でした
整骨院から総合病院、大学病院まで次々と病院を回りましたが、原因も治療法も分かりませんでした。
精神的ストレスや心因性が原因ではないかと言われたこともありましたが、思い当たるストレスはありませんでした。
歩けるようになることを諦めたくなく、リハビリを始め、痛みをこらえながらなんとかゆっくりとぶるぶると震える足で歩けるようになり、登校を再開しましたが、歩くことで精一杯だったので、通学は両親に車で送ってもらい、学校の行事には参加できませんでした。
―進学も難しく夢も諦めざるを得ませんでした
その後、リハビリを続けても症状はよくならず、進学も就職もできず自宅療養という形で卒業することになりました。
昨年末には障害者認定を申請し、上肢と下肢の機能不全等で1級の認定が出て手帳を交付されました。
―ワクチン接種が人生に与えた影響は最悪です
一言でいうと、最悪です。大好きなスポーツも友達との時間も学校行事もすべて奪われました。副反応の症状がでてから、自信がなくなってしまって、何もできなくなってしまい、強い劣等感を感じて、友人たちとうまく話すこともできなくなってしまいました。
―この先の幸せまでは奪わせません
私は、あきらめなければならなかったこと、苦しいことがいっぱいありましたが、私は弱い人間ではないので、心だけはぼろぼろにならないように、常に前を向いて、目の前の小さなチャンスを逃さず、強く、前を向いて生きてきました。
今後も前を向いて強く生きていこうと思いますが、私の力には限界があります。治療法の確立もそうですし、治療費を稼ぐにも限界があります。ですので、裁判官の方々には、今後も私たちが安心して暮らせるように、私たちの未来を支え、明るく照らしてくれるような判決を下していただくよう、心から望みます。
===原告52番さん本人尋問
―ワクチンを接種した後、様々な症状が現れた
高校1年生の1月に1回目、3月に2回目のワクチン接種をしました。その後、発熱、吐き気、腹痛、倦怠感といった症状が出てきてしまいました。特に、視界の状態がおかしいような症状が出て、視界が上下に揺れる、船に乗っているかのような状態が出てしまいました。
―高校生活も困難が続いた
そのような症状が続いてしまったので、通っていた通信制の高校を普通に続けることが難しくなりました。通信制の高校なので、学校へいくスクーリングの日は限られていたのですが、それでもスクーリングはできなくなり、一度休学をせざるを得なくなりました。頑張って復学をした後も症状は治まらず、半ば寝たきりのような状態が続きました。
―進学も簡単ではなかった
高校卒業後、動物が好きだったので、トリミングの技術を学ぶ専門学校に進学をしました。しかし、症状が続いたために、大きな犬を持ち上げることができなかったり、ブラッシングを行う動きができませんでした。そのため、専門学校は退学せざるを得ませんでした。
それでも普通の生活をしたい、勉強をしたい、医療の道に進みたい、という気持ちから、理学療法士の勉強をする大学へ進学をしました。しかし、めまいや記憶障害がひどく、周りの学生についていくことができず、また学校をやめることになりました。
それでも私はあきらめきれず、医療事務の専門学校に進学をしました。この専門学校は卒業することができて、卒業できた時は涙が出るほどうれしかったです。
―就職もうまくはいかなかった
専門学校を卒業後、入院病棟のクラークで働くことになりました。先輩と二人で病棟を回り、患者さんの入退院の手続きをしたり、看護師の話を聞いて検査を出すことをしたり、電話対応をしたりしました。
しかし、記憶障害の症状はあり、仕事に支障が出てしまいました。残念でしたが、仕事を続けることはできないと思い、仕事ができたのは半年でした。
―学校や生活、夢、すべてをあきらめた
夫に対しては、結婚してすぐ要介護状態になってしまい、申し訳なく思っています。私でない人と結婚したらと思うと、そうした方がよかったのではと思うこともあります。母親に対しても、本来はもっとバリバリ働けるのに。子どもだっていたかもしれないのに、かなえられず、本当に申し訳ないです。
接種したのは、16歳の時でした。それまでは、病院にかかるのは風邪の時ぐらいで、健康そのものでした。ワクチンを接種してからは、一変して、病院通いが欠かせない体になってしまいました。おそらく、病院通いは一生続きます。
本来ならば、学校生活、青春を謳歌したり、将来の夢だった美容師にもなりたかったし、仕事だってもうちょっと続けたかった。普通の人生を送りたかったです。29歳になります。何もできない29歳になってしまいました。悔しいし、やるせないです。私の13年間を返してください。どうか治療法を見つけてください。過去が暗いものになってしまった分、未来だけは明るいものになることを願っています。
それぞれの原告の皆さんに対する被告企業からの反対尋問は、カルテに記載されている内容を確認することの繰り返しや、些細な事実についての質問に終始しました。原告の皆さんはきちんと質問に答え、不適切な誘導となる質問には誤った印象を裁判所に与えないよう、適切に回答をしました。
期日前に行われたリレートークでは、東京原告15番さんや、HPVワクチン薬害訴訟を支える会・沖縄の渡辺優子さん、東京原告土岐梨奈さんのお父さん、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの隈本邦彦さんにお話しいただきました。
【期日前リレートークの様子(左上:土岐さん、左下:隈本さん、右下:渡辺さん)】
尋問後の報告集会では、弁護団の32番さんの担当であった木下弁護士、27番さんの担当であった鮎京弁護士、52番さんの担当であった河村弁護士から、それぞれの原告さんの症状の状況や、尋問の様子について報告がなされました。
また、東京原告平原沙奈さんと原告21番、HPVワクチン薬害訴訟を支える会・沖縄の渡辺優子さん、富山大学の林衛さんから、本日の傍聴についての感想をいただきました。さらに、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの隈本邦彦さんから近時の情勢についての報告や、新たに作成した動画である、『教えてカナリアン』(https://www.youtube.com/watch?v=SLCRz3a357k)の紹介や、ワクチン薬害訴訟を支える会・大分が作成した書籍『HPVワクチンのほんとうのこと』(https://oita-sien-hpvw.amebaownd.com/) の紹介を行っていただきました。
【尋問の様子を報告する木下弁護士、鮎京弁護士、河村弁護士】
訴訟期日後の記者会見には、尋問に立った原告27番さんが出席し、弁護団と一緒に、尋問の感想や内容を語りました。
(27番さんの発言)
「本日改めて裁判官の方々がいる前で自分の想いだったり症状等を訴えることができてよかったなと思っています。今までも様々な場面で自分の症状や思いを伝える場面はあったんですけれども、裁判官のいる前で喋るということは正しい証言になりますので、その点はとてもよかったと思います。
反対尋問につきましてもストレスからくるものかという訴えに対してしっかり否定することができて良かったと思います。」
【記者会見に臨む原告27番さん(中央)】
次回の東京訴訟の期日は2024年11月18日(月)です。
被告申請の証人尋問が行われます。
引き続き、ご支援をよろしくお願いします。
<東京訴訟の次回弁論期日>
11月18日(月)13時30分~ 被告証人尋問
2024年8月7日(水)に、東京地方裁判所において原告本人尋問が行われます。
今回の期日では、原告27番、32番、52番の3名の女性が法廷で自身の被害を訴えます。
是非大勢の方に傍聴にお越しいただき、傍聴席で3名の原告の方の証言に耳を傾けてください。
当日のスケジュール等は次のとおりです。
案内のチラシもご確認ください。
★法廷外企画・報告集会の会場が従前ご案内したものから変更されています。
現在掲載されているものが正しいご案内ですので、お間違いのないようご注意ください。
【スケジュール】
9:10~9:20 裁判所前リレートーク
9:30 傍聴券抽選締切り
10:00~17:00(予定) 原告本人尋問 @東京地裁103号法廷
※抽選にはずれてしまった方向けに、10:30から法廷外企画も行います。
法廷外企画の場所は、弁護士会館507会議室です。
期日終了後(17:30頃) 報告集会 @ビジョンセンター有楽町306号室
2024年5月15日(水)、HPVワクチン薬害東京訴訟の口頭弁論期日が開かれ、原告33番(土岐梨奈)さん、43番さんの本人尋問が行われました。
前回の本人尋問期日と同様、多くの方が傍聴やリレートーク、報告集会に駆け付けてくださいました。
また、記者会見で期日の成果を報告しました。
尋問に立った土岐梨奈さん
以下、土岐さんと43番さんが尋問で話した内容の要約をご紹介します。
ー接種の前は体を動かすのが大好きな子どもでした
小学生のころは、体を動かすことが大好きで、ダンスや水泳、バスケットボール、演劇などに取り組んでいました。
学校を休むことはありませんでした。
ー接種後に自分の脚が千切られるような痛みがありました
ところが、中学校1年生の時にガーダシルの接種を3回受けたところ、それまでなかった右ひじの痛みや、うずくまってしまうような脇腹の痛み、股関節に自分の脚が千切られ、取られるような強い痛みを感じるようになりました。
また、手に力が入らなくなり、お箸や筆記用具が持てず、ペットボトルの蓋も開けられず困りました。
車椅子や松葉杖を使わないといけない状態にまでなり、リハビリを受けました。
ー突然意識がなくなることがありました
さらに、何かしていても突然意識がなくなり、心配した家族が顔を叩いても、階段やエスカレーターから落ちても、しばらく意識が戻らないことがありました。電車に乗っているときに意識を失い、目的地の正反対の方向へ何時間も移動し、公園で座っている状態で意識が戻ったこともありました。
その他にも、もともと知っているはずの文字が甲骨文字のように見えて、認識できなくなる症状もありました。
ー症状は「演技」や「仮病」だと言われ信じてもらえませんでした
しかし、このような症状を訴えても、学校の先生やお医者さんには信じてもらえませんでした。
先生からは「障害者ぶるな」と言われました。
また、母がお医者さんから「演技だと思わないんですか、これは仮病ですよ」と言われていたと後から知りしました。
副反応で、学校の体育の授業に遅れた時に、先生が、走れない私以外の同級生を「連帯責任」として走らせたことがありました。
ー声優の夢を諦めざるを得ず悲しさや悔しさ、虚しさを感じました
私は、中高一貫校に通い、学校の友達とは良い関係をつくっていましたが、先生からは「出席日数が足りずに留年する可能性がある」と暗に転校を勧められ、高校は別の学校へ転出しました。
その時は、友達にも会うことがなくなり、寂しかったです。
高校生になってからは、声優になりたいと考え、そのための勉強もしていました。
しかし、いつ体調が悪くなるか分からず、勉強にもついていくことができなくなりました。
声優になることはそもそも「99%の努力と1%の運」と言われるほど難しいことで、体調の悪さから諦めるしかありませんでした。
症状に苦しむ中でやっと見つけた希望を、やっぱりこの症状で諦めないといけなくなり、悲しさや悔しさ、虚しさを感じました。
ー負担をかけた家族には謝っても謝りきれません
家族に対しては、「あなたたちのせいで私は体が悪くなった」と思いをぶつけてしまったことがあります。
家族は悪くないのに、つらい、悲しい思いをさせてしまったこと、大切な時間も奪ってしまったことには、謝っても謝りきれません。
ー症状は軽くなりましたがなくなった訳ではありません
高校3年生のころからガンマグロブリン治療を受けるようになり、症状は軽くなりましたが、なくなった訳ではありません。
疲れやすく、数時間働くと休まないといけません。原因が分からないので、またいつ症状が出るか分からない不安もあります。
現在は仕事をしていますが、体調が悪いときは休まないといけなくて、職場の人がカバーをしてくれます。
症状は、私だけでなく会社にとっても大変です。
ー未来が怖いと感じる症状です
もともと運動が好きだったのに、体を動かしたくても動かせなくなること、その症状の波は地獄そのものです。
この被害は、私だけでなく、家族や周りの人にも迷惑をかけます。
これまで、症状に対応するために、いろいろな工夫をし、また、いろいろなものに費用をかけてきました。
それでも、遊びに行った時も100%楽しむことはできません。
また、現在は子育てをしていますが、また体調が悪くなってしまったらと思うと怖いです。
症状の波は、未来にもつらい思いをさせる怖いものです。
ー反対尋問補充尋問について
反対尋問では、被告企業から、症状はそれほど重くなかったのではないか、症状の原因はワクチン接種ではないのではないか、心因性ではないか、といった角度からの質問がありました。
それに対して土岐さんは、とても落ち着いて、記憶に従って正確に答えました。
その中で、痛みとしか過ごしていない、自分の体の痛みに対する怒りをどこにぶつけたら良いか分からなかったという過去の心情も語りました。
ー幼いころからピアノに打ち込んでいました
私は、3歳からピアノを習い始め、それに打ち込んでいました。
中学校では芸術部に入り、友達とはゲームやカラオケで遊んでいました。
将来は、アニメ関連の仕事やピアノの仕事に就きたいと考えていました。
ー3回目の接種後、ひどいだるさ、頭痛、胃痛、下痢などの症状が出ました
中学校1年生の時にガーダシルの接種を3回受けた後、目がチカチカし、ひどい頭痛や胃痛も起きました。
中学校2年生の11月ころからは、体が重くベッドから上半身を起こすこともできないようなひどいだるさや下痢も起きるようになり、学校を休むことが多くなりました。
歩くときは息切れも激しかったです。
ひどいだるさは悪いままずっと変わっていません。
ー中学校の卒業式に出られずピアノも弾けなくなりました
症状はさらに悪化し、母に車で送迎してもらい保健室登校をしていましたが、中学校3年生の11月ころには症状がさらに悪くなって登校できなくなりました。
卒業式には参加できませんでした。
ピアノも弾けなくなりました。
楽譜は見えていても、ただ音符が並んでいるようにしか見えなくなり、内容が分からなくなりました。
その後、通信制高校の授業では、話されている内容が全く頭に入ってきませんでした。
教科書に文字が書かれていることは分かっても、その意味は分かりませんでした。
電子レンジの使い方が分からない、傘を差した後にとじ方が分からなくなる、両親の顔を見ても誰か分からなくなるといった症状が出ました。
ー食事、トイレや入浴に介助が必要になり入浴は月1~2回しかできません
普段は、倦怠感が激しく、外出はほとんどできず、家の中でリクライニングソファに座ったまま、ほとんど何もできません。
首が後ろに倒れてきてしまって、態勢の維持ができず、食事もリクライニングソファで食べていました。
入浴しようとして具合が悪くなって倒れそうになりふらつくので、母に介助をしてもらっています。
入浴するとひどく疲れてしまうので、頻度は月1回でした。
食事の際も、手の力が弱く、自分では食べ物を切ることができないので、母に一口サイズに切ってもらって、食べていました。
トイレに行く際も、急に体調が悪くなって倒れてしまうことがあるので、すぐに来てもらえるようにそばにいてもらっていました。
文字が分からない症状も、どんどん悪くなっていきました。
ワクチン接種を受けてから12年が経ち、去年の夏ごろから症状は少しずつ良くなってはいます。
トイレは一人で行けるようになりましたが、入浴はひどく疲れてしまうので、現在も月1回から2回の頻度です。
ー大学は5年間でひとつも単位を取れませんでした
私は、通信制の大学に進学しました。しかし、体調は悪くなっていきました。
その後、体調が悪くなったときにすぐに横になれるように、電動ベッドを置いてもらいました。
入学して5年ほど在籍していましたが、体調が悪くて単位がひとつも取れず、卒業が見込めなかったので、退学しました。
–症状から解放される人が一人でも増え、被害に遭う人がいなくなれば
アニメやピアノに関する仕事に就ける状況ではなくなってしまい、とても悔しいです。
体調に波がある病気で、もし社会に出ても安定しないかもしれません。
倦怠感の波で動けなることもあります。
母は私を看護するために仕事を辞め、一方で、父は収入を維持するために仕事を休めず、家族にも負担をかけています。
症状から解放される人が一人でも増えるように治療法を確立して欲しいです。また、そもそもこの被害に遭う人がいなくなれば良いと思います。
ー反対尋問
反対尋問で、被告企業からは、繰り返し、もともと学校に行くことにストレスを感じていたのではないかと質問がありました。
それに対して43番さんは、ワクチン接種によるひどい倦怠感等、正体の分からない症状があり、いつ体調が悪くなるかが分からなかったことこそが、その原因なのだと何度も何度もはっきりと答えていました。
あらためて、HPVワクチンの被害の深刻さが浮き彫りになりました。
期日前に行われたリレートークでは、前回の本人尋問期日で、尋問を受けて自ら被害を語った倉上さんや、HPVワクチン薬害訴訟を支える会・沖縄の渡辺優子さん、同北海道の浅川身奈栄さん、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの隈本邦彦さんらにお話しいただきました。
【写真左から隈本さん、倉上さん、渡辺さん(マイクを持っている女性)、浅川さん】
尋問後の報告集会では、弁護団の大木奈央子弁護士らから、土岐さんと43番さんが切実かつ丁寧に被害を訴えていたことが報告されました。
一方で、被告企業には症状に正面から向き合って欲しいという感想が出ました。
また、「HPVワクチン ほんとうのこと」という冊子や新しいリーフレット、支援ニュースを発行したことも報告されました。
尋問の様子を報告する安孫子理良弁護士(左)と大木弁護士
訴訟期日後の記者会見には、午前中に尋問に立った原告の土岐梨奈さんが出席し、弁護団と一緒に、尋問の感想や内容を語りました。
土岐さんは、尋問で特に、自分だけではなく周りの人にも迷惑をかけて、家族にも被害が生じたことを裁判官に分かってもらいたかった、と語りました。
その被害とは、土岐さんが痛みのために歩けなくなってしまい、両親もどうしていいか分からず、土岐さんにお母様がつきっきりになってしまったこと、そのため、土岐さんのごきょうだいも、いろいろと悩み親に頼りたいこともある年代なのに、ご両親がきょうだいに向き合う時間を十分持つことができなかったことなどです。
土岐さんは、体の症状が辛くて両親にきついことを言ってしまったことがある、母はこれまで私につきっきりだったので、これからは母自身の人生を歩んでほしい、と目を潤ませて話しました。
その他、弁護団からは、午後の43番さんの尋問内容、他地裁も含めた被告の反対尋問の狙いについても報告しました。
記者会見に臨む原告・土岐梨奈さんと弁護団
次回の東京訴訟の期日は2024年8月7日(水)です。
東京訴訟原告3名の本人尋問が行われます。
引き続き、ご支援をよろしくお願いします。
<東京訴訟の次回弁論期日>
8月7日(水)10時00分~ 原告本人尋問
過去の記事はこちらから確認できます。