2024年5月15日(水)、HPVワクチン薬害東京訴訟の口頭弁論期日が開かれ、原告33番(土岐梨奈)さん、43番さんの本人尋問が行われました。
前回の本人尋問期日と同様、多くの方が傍聴やリレートーク、報告集会に駆け付けてくださいました。
また、記者会見で期日の成果を報告しました。
尋問に立った土岐梨奈さん
以下、土岐さんと43番さんが尋問で話した内容の要約をご紹介します。
土岐梨奈さん本人尋問
ー接種の前は体を動かすのが大好きな子どもでした
小学生のころは、体を動かすことが大好きで、ダンスや水泳、バスケットボール、演劇などに取り組んでいました。
学校を休むことはありませんでした。
ー接種後に自分の脚が千切られるような痛みがありました
ところが、中学校1年生の時にガーダシルの接種を3回受けたところ、それまでなかった右ひじの痛みや、うずくまってしまうような脇腹の痛み、股関節に自分の脚が千切られ、取られるような強い痛みを感じるようになりました。
また、手に力が入らなくなり、お箸や筆記用具が持てず、ペットボトルの蓋も開けられず困りました。
車椅子や松葉杖を使わないといけない状態にまでなり、リハビリを受けました。
ー突然意識がなくなることがありました
さらに、何かしていても突然意識がなくなり、心配した家族が顔を叩いても、階段やエスカレーターから落ちても、しばらく意識が戻らないことがありました。電車に乗っているときに意識を失い、目的地の正反対の方向へ何時間も移動し、公園で座っている状態で意識が戻ったこともありました。
その他にも、もともと知っているはずの文字が甲骨文字のように見えて、認識できなくなる症状もありました。
ー症状は「演技」や「仮病」だと言われ信じてもらえませんでした
しかし、このような症状を訴えても、学校の先生やお医者さんには信じてもらえませんでした。
先生からは「障害者ぶるな」と言われました。
また、母がお医者さんから「演技だと思わないんですか、これは仮病ですよ」と言われていたと後から知りしました。
副反応で、学校の体育の授業に遅れた時に、先生が、走れない私以外の同級生を「連帯責任」として走らせたことがありました。
ー声優の夢を諦めざるを得ず悲しさや悔しさ、虚しさを感じました
私は、中高一貫校に通い、学校の友達とは良い関係をつくっていましたが、先生からは「出席日数が足りずに留年する可能性がある」と暗に転校を勧められ、高校は別の学校へ転出しました。
その時は、友達にも会うことがなくなり、寂しかったです。
高校生になってからは、声優になりたいと考え、そのための勉強もしていました。
しかし、いつ体調が悪くなるか分からず、勉強にもついていくことができなくなりました。
声優になることはそもそも「99%の努力と1%の運」と言われるほど難しいことで、体調の悪さから諦めるしかありませんでした。
症状に苦しむ中でやっと見つけた希望を、やっぱりこの症状で諦めないといけなくなり、悲しさや悔しさ、虚しさを感じました。
ー負担をかけた家族には謝っても謝りきれません
家族に対しては、「あなたたちのせいで私は体が悪くなった」と思いをぶつけてしまったことがあります。
家族は悪くないのに、つらい、悲しい思いをさせてしまったこと、大切な時間も奪ってしまったことには、謝っても謝りきれません。
ー症状は軽くなりましたがなくなった訳ではありません
高校3年生のころからガンマグロブリン治療を受けるようになり、症状は軽くなりましたが、なくなった訳ではありません。
疲れやすく、数時間働くと休まないといけません。原因が分からないので、またいつ症状が出るか分からない不安もあります。
現在は仕事をしていますが、体調が悪いときは休まないといけなくて、職場の人がカバーをしてくれます。
症状は、私だけでなく会社にとっても大変です。
ー未来が怖いと感じる症状です
もともと運動が好きだったのに、体を動かしたくても動かせなくなること、その症状の波は地獄そのものです。
この被害は、私だけでなく、家族や周りの人にも迷惑をかけます。
これまで、症状に対応するために、いろいろな工夫をし、また、いろいろなものに費用をかけてきました。
それでも、遊びに行った時も100%楽しむことはできません。
また、現在は子育てをしていますが、また体調が悪くなってしまったらと思うと怖いです。
症状の波は、未来にもつらい思いをさせる怖いものです。
ー反対尋問補充尋問について
反対尋問では、被告企業から、症状はそれほど重くなかったのではないか、症状の原因はワクチン接種ではないのではないか、心因性ではないか、といった角度からの質問がありました。
それに対して土岐さんは、とても落ち着いて、記憶に従って正確に答えました。
その中で、痛みとしか過ごしていない、自分の体の痛みに対する怒りをどこにぶつけたら良いか分からなかったという過去の心情も語りました。
43番さん本人尋問
ー幼いころからピアノに打ち込んでいました
私は、3歳からピアノを習い始め、それに打ち込んでいました。
中学校では芸術部に入り、友達とはゲームやカラオケで遊んでいました。
将来は、アニメ関連の仕事やピアノの仕事に就きたいと考えていました。
ー3回目の接種後、ひどいだるさ、頭痛、胃痛、下痢などの症状が出ました
中学校1年生の時にガーダシルの接種を3回受けた後、目がチカチカし、ひどい頭痛や胃痛も起きました。
中学校2年生の11月ころからは、体が重くベッドから上半身を起こすこともできないようなひどいだるさや下痢も起きるようになり、学校を休むことが多くなりました。
歩くときは息切れも激しかったです。
ひどいだるさは悪いままずっと変わっていません。
ー中学校の卒業式に出られずピアノも弾けなくなりました
症状はさらに悪化し、母に車で送迎してもらい保健室登校をしていましたが、中学校3年生の11月ころには症状がさらに悪くなって登校できなくなりました。
卒業式には参加できませんでした。
ピアノも弾けなくなりました。
楽譜は見えていても、ただ音符が並んでいるようにしか見えなくなり、内容が分からなくなりました。
その後、通信制高校の授業では、話されている内容が全く頭に入ってきませんでした。
教科書に文字が書かれていることは分かっても、その意味は分かりませんでした。
電子レンジの使い方が分からない、傘を差した後にとじ方が分からなくなる、両親の顔を見ても誰か分からなくなるといった症状が出ました。
ー食事、トイレや入浴に介助が必要になり入浴は月1~2回しかできません
普段は、倦怠感が激しく、外出はほとんどできず、家の中でリクライニングソファに座ったまま、ほとんど何もできません。
首が後ろに倒れてきてしまって、態勢の維持ができず、食事もリクライニングソファで食べていました。
入浴しようとして具合が悪くなって倒れそうになりふらつくので、母に介助をしてもらっています。
入浴するとひどく疲れてしまうので、頻度は月1回でした。
食事の際も、手の力が弱く、自分では食べ物を切ることができないので、母に一口サイズに切ってもらって、食べていました。
トイレに行く際も、急に体調が悪くなって倒れてしまうことがあるので、すぐに来てもらえるようにそばにいてもらっていました。
文字が分からない症状も、どんどん悪くなっていきました。
ワクチン接種を受けてから12年が経ち、去年の夏ごろから症状は少しずつ良くなってはいます。
トイレは一人で行けるようになりましたが、入浴はひどく疲れてしまうので、現在も月1回から2回の頻度です。
ー大学は5年間でひとつも単位を取れませんでした
私は、通信制の大学に進学しました。しかし、体調は悪くなっていきました。
その後、体調が悪くなったときにすぐに横になれるように、電動ベッドを置いてもらいました。
入学して5年ほど在籍していましたが、体調が悪くて単位がひとつも取れず、卒業が見込めなかったので、退学しました。
–症状から解放される人が一人でも増え、被害に遭う人がいなくなれば
アニメやピアノに関する仕事に就ける状況ではなくなってしまい、とても悔しいです。
体調に波がある病気で、もし社会に出ても安定しないかもしれません。
倦怠感の波で動けなることもあります。
母は私を看護するために仕事を辞め、一方で、父は収入を維持するために仕事を休めず、家族にも負担をかけています。
症状から解放される人が一人でも増えるように治療法を確立して欲しいです。また、そもそもこの被害に遭う人がいなくなれば良いと思います。
ー反対尋問
反対尋問で、被告企業からは、繰り返し、もともと学校に行くことにストレスを感じていたのではないかと質問がありました。
それに対して43番さんは、ワクチン接種によるひどい倦怠感等、正体の分からない症状があり、いつ体調が悪くなるかが分からなかったことこそが、その原因なのだと何度も何度もはっきりと答えていました。
あらためて、HPVワクチンの被害の深刻さが浮き彫りになりました。
期日前に行われたリレートークでは、前回の本人尋問期日で、尋問を受けて自ら被害を語った倉上さんや、HPVワクチン薬害訴訟を支える会・沖縄の渡辺優子さん、同北海道の浅川身奈栄さん、HPVワクチン東京訴訟支援ネットワークの隈本邦彦さんらにお話しいただきました。
【写真左から隈本さん、倉上さん、渡辺さん(マイクを持っている女性)、浅川さん】
尋問後の報告集会では、弁護団の大木奈央子弁護士らから、土岐さんと43番さんが切実かつ丁寧に被害を訴えていたことが報告されました。
一方で、被告企業には症状に正面から向き合って欲しいという感想が出ました。
また、「HPVワクチン ほんとうのこと」という冊子や新しいリーフレット、支援ニュースを発行したことも報告されました。
尋問の様子を報告する安孫子理良弁護士(左)と大木弁護士
訴訟期日後の記者会見には、午前中に尋問に立った原告の土岐梨奈さんが出席し、弁護団と一緒に、尋問の感想や内容を語りました。
土岐さんは、尋問で特に、自分だけではなく周りの人にも迷惑をかけて、家族にも被害が生じたことを裁判官に分かってもらいたかった、と語りました。
その被害とは、土岐さんが痛みのために歩けなくなってしまい、両親もどうしていいか分からず、土岐さんにお母様がつきっきりになってしまったこと、そのため、土岐さんのごきょうだいも、いろいろと悩み親に頼りたいこともある年代なのに、ご両親がきょうだいに向き合う時間を十分持つことができなかったことなどです。
土岐さんは、体の症状が辛くて両親にきついことを言ってしまったことがある、母はこれまで私につきっきりだったので、これからは母自身の人生を歩んでほしい、と目を潤ませて話しました。
その他、弁護団からは、午後の43番さんの尋問内容、他地裁も含めた被告の反対尋問の狙いについても報告しました。
記者会見に臨む原告・土岐梨奈さんと弁護団
次回の東京訴訟の期日は2024年8月7日(水)です。
東京訴訟原告3名の本人尋問が行われます。
引き続き、ご支援をよろしくお願いします。
<東京訴訟の次回弁論期日>
8月7日(水)10時00分~ 原告本人尋問