2019年12月3日、肌寒い曇り空の中、HPVワクチン薬害大阪訴訟第13回口頭弁論期日が開かれました。
期日に先立って、今回も淀屋橋駅前において弁護団が期日への参加を呼びかけるビラ配りを行いました。
今回の期日も、大変寒い中にも関わらず、多くの支援者が駆けつけてくれました。
傍聴希望者の中には学生さんもいらっしゃいました。
本日の法廷では、大阪原告24番さんの意見陳述と弁護団によるプレゼンテーションが行われました。
原告24番さんは、HPVワクチンを接種する前は、読書が大好きで、毎週図書館に通い、月に40冊ほどの本を読むほどでした。また、幼稚園の頃からエレクトーンを習っており、発表会に向けて頑張っていました。
中学1年生のとき、子宮頸がんワクチンの案内が届き、学校の先生も、なるべく早く受けるように言っていたため、受けるのが当たり前なのだと思い、ワクチンを受けました。
ワクチンの接種を受けた後、腕の痛み、腫れが生じ、皮膚が赤くなっていき、接種翌日から1週間くらい体がだるく、腕が上げられない状態が続きました。約3か月後の夏休みに、熱が出て、ひどい寒気がするようになり、真夏なのに真冬の服装で過ごし、カイロを使うほどでした。また、体中に痛みが生じ、過眠の症状が現れ、1日のうち18-20時間は寝て過ごしていました。
その翌月には、殴られたような頭痛、耳鳴り、吐気、嘔吐、下痢、腕が痺れて力が入りにくい、突然眠くなるという症状が出て、38度の高熱が続き、解熱剤を飲んでも熱が下がりませんでした。衰弱のため四つん這いで過ごすほどでした。衰弱で入院した時、検査で異常がなかったため、医師に精神的なものと決めつけられました。
体が重くしんどい状態が続き、集中力もなくなり、趣味の読書もできなくなりました。大好きで何度も読んだことのある本なのに、内容が頭に入ってこず、本を5分も読み続けることができなくなりました。
学校に行っても2~3時間しか体力が持たず、早退や欠席を繰り返し、無理をすると1週間も行けなくなることもありました。中学校の体育祭にも参加できず、エレクトーンも続けられませんでした。なんとか中学校は卒業しましたが、物忘れがひどく、中学のことは、卒業式のこと以外あまり覚えていません。友達から話を聞いたり、写真を見たりしても、思い出せないことも多いです。
その後、通信制の高校に進学した頃、ワクチンの副反応を診察してくれる医師がいると聞き、遠方でしたが受診し、ワクチンの副反応と診断されたことで、気持ちとしてはひと区切りがついた感じがしたそうですが、その後も根本的な治療法のない不安な日々が続いていることを、満席の傍聴席の前で語りました。
現在通信制の短期大学に入学し、図書館司書の資格を取りたいと考えて努力していること、それでも本当に卒業できるか不安な日々を過ごしていることを語った最後に原告24番さんは、最後に、製薬会社は自分がつくった薬なのだから責任もって対応してほしいと述べて、意見陳述を締めくくりました。
続いて大阪弁護団の佐久間ひろみ弁護士と脇山美春弁護士が担当したプレゼンテーションでは、本件副反応症状は心因性の疾患ではないこと、そして本件ワクチン接種と原告らの副反応被害との間に因果関係が認められることについて説明しました。
佐久間弁護士からは、被害者らを心因性の疾患と決めつける被告らの主張は、機序が判明していない疾患を消極的な理由のみで心因性とする安易な発想に基づくものであり、かつ、免疫療法によって、被害者らに一定の治療効果が上がっていることとも矛盾しており、何ら根拠がなく、原告らに生じている多様で重層的な本件副反応症状は、心因性の疾患ではないことは明らかであることを主張しました。
脇山弁護士からは、本件病態が共通の特徴をもつ特異的な症候群であり、その原因となる因子として唯一指摘しうるのが本件ワクチン接種であること、本件病態は免疫性の神経障害で説明できること、本件ワクチンによって免疫性の神経障害を引き起こす機序が医学的に説明できること、マウス実験が本件ワクチン接種が神経症状を引き起こすことを裏付けていること、疫学的見地からも本件ワクチンと副反応との因果関係が示唆されることからすれば、本件ワクチンと副反応との因果関係が認められることを主張しました。
期日終了後は、大阪地裁の記者クラブにおける弁護団会見と並行して、AP淀屋橋の会議室に場所を移して報告集会を行い、様々な支援者の方も大勢参加してくださり、力強い言葉をいただきました。
次回の大阪訴訟期日は2020年3月5日(木)午後2時開廷です。
引き続き大勢の方が傍聴に参加して下さることを願っています。